都立大学から帰る
先日、都立大学の記事に登場した、目黒通りの起点、清正公前交差点を訪問した。
その帰り、白金高輪駅を利用したのだが駅周辺地図の中にとても気になる表記を見かけた。
主要施設の索引中、ま行のところ
「御田小学校」と「三田中学校」。
読み方はどちらも「みた」で土地的にはとても近いところにある。
つまりは、どちらも同じ地名の「みた」を指していると思われている。
では、なぜ二つの地名に違いがあるのだろうか。
以下、港区の公式ホームページに解説の記述を見つけたので転載する。
「荏原郡(港区、千代田区の一部と品川・大田・目黒・世田谷区)の御田郷は、古くは、港区三田~白金、目黒区三田までを含む地域で、荏原郡9 郷の一つに数えられました。「三田」は区内で最も古い地名の一つで、承平5年(935)頃の文献に「武蔵国荏原郡郷“御田”」と紹介されています。カナが普及する前の時代の書物ですが、「美田」と、漢字で漢字に読み方が記してあったそうです。皇室に献上する米をつくる貴重な田だったので「御田」とする説などがあります。箕田、箕多、弥陀、美田などと表記された時代もありました。
明治4年(1871)、肥前島原藩下屋敷跡に「慶應義塾」が移転(現・二丁目=芝地区内)してきたことにより、下宿屋・食堂・書店・文具店などが増え、武家町から学生街へと町風が一変しました。
明治11年(1878)年、芝区に所属。昭和42年(1967)、芝新門前町、芝新門前河岸、芝赤羽町、芝三田豊岡町、芝新広尾町、芝伊皿子町などが合併し、現在の「三田」となりました。
一~三丁目は芝地区に、四・五丁目が高輪地区に属しています。」
とのことであった。
つまり両方の「みた」の地名の初出は御田郷ということになり、ある意味で小学校名の御田が正しいということになる。
また、さまざまな「みた」が存在し、混同していることも時たまあるということだろう。
慶應義塾大学や東京タワー、田町の属する三田地区はこのような歴史深い土地だったことに驚かされる。
今後も東京で気になった地名、表記があった時にはこのようにブログに書き連ねていきたいと思う。
今後ともよろしくお願いしたい。