さて、2回目である。前回は草加旭町郵便局を出発するところまでお話ししたと思う。
前回のエピソードはこちらをご覧いただきたい。
前述したタバコ屋の前に旭天満宮という案内看板を発見した。
先ほどは気が付かなかったが天満宮ということは学業の神様であろうから、高校生としてそこを目指すことにした。
線路の手前、閑静な住宅街の中に神社はあった。
静かな境内の手水舎は「感染症対策のため」として水が流れていなかった。
コックをひねれば水は出そうだったが理由付きで表示されている以上、それを破るというのも気が引けるのでやめておいた。
まずは由緒を読む。以下、由緒を原文ママで書き込むので興味のある場所だけ読んでいただくか、読み飛ばしていただいてもいいと思う。
※以下縁起碑内、太字はふりがなを示す
「天満宮縁起碑銘 解読
願主 猪野治兵衛 知基 謹んで記す。
時に嘉永{かえい}六癸丑(一八五三)年五月吉日
抑{そもそも}、当社天満宮の開基{かいき}を繹{たずね}るに、万治元戊戌(一六五八)年、下野{しもつけ}の国(栃木県)佐野の住人{じゅうにん}、猪野監物{けんもつ}藤原知吉の嫡子{ちゃくし}(長男)、同苗(猪野)久左衛門知勝の息男、治左衛門知秀の造営也。其の事蹟{じせき}を考えるに、修理大夫故{しゅりたいふゆえ}(事情)有りて、改易{かいえき}(武士の籍を削られる)さる。因{よっ}て茲{ここ}に、久左衛門知勝も{しょし}(浪人)と成りて領家村民間に隠居す。常に地理宜{よろし}く視{み}。寛永三丙寅(一六二六)年当初え水縄{みずなわ}(検地)入る。同(寛永)六己巳(一六二九)年、沼地四拾一町三反一畝十六歩の菑田{しでん}(荒田)と成処{なるところ}を上田と成す。民は、説{よろこび}郷中{むら}は繁栄す。故{ゆえに}九左衛門新田と此を号{なずく}。猪野治左衛門知秀の親九左衛門知勝は、許多{あまた}の沼地菑田{しでん}(開拓田)とし、上田と成す。民間{たみ}此{これ}を説{よろこび}郷中繁栄成令勲功思{むらはんえいならしむいさおしおもう}。弥{いよいよ}、米愨{べいかく}(五穀)豊饒{ほうじょう}、凶年災{わざわい}い無き様に祈る。猶{なお}以{もっ}て天下泰平{てんかたいへい}、村中安穏{あんおん}、末代の惣鎮守と心を以て成{なら}しむ。万治元戊戌(一六五八)年十一月廛舎{てんしゃ}(屋敷)の{かたわら}に天神社を造営す。
治左衛門知秀は、その神徳{しんとく}の霊成{くしなる}るを感ず。願力{がんりき}休まず、夙夜{しゅくや}(朝も夜も)懈{おこたる}事無{ことな}し。夜{よ}を以{もっ}て日に継{つ}ぎ(昼夜なく)朝には、齋明盛服礼容{せいめいせいふくれいよう}(衣服心)を成{ととのえ}てこれを信ず。夕ベには、敬遠感挌{けいえんかんかく}(うやまい)の誠{まこと}を存{たも}ってこれを崇{あが}む。或時{あるとき}は、幣帛{ぬさ}を捧げて豊饒{ほうじょう}を祈り、又酒美{うまさけ}を供えて禍災{わざわい}を除く。凡{すべ}ての患難{かんなん}(わざわい)疾疫{しつえき}(やまい)一{いつ}と為{して}、利験(よきしるし)あらずと云う事無し。神徳{しんとく}は、厳然{げんぜん}たり。
然{しか}る処{ところ}、宮社破損{みやしろはそん}に就{つ}き、此の度惣氏子丹誠{たんせ}を抽{だ}して、宮を再建す。并{ならびに}(あわせて)敷石も成就{じょうじゅ}(完成)す。仍{より}て、神徳を無窮{むきゅう}(永遠)に伝え寿考無彊{じゅこうむきょう}(末長く)郷中{ごうちゅう}(むら)の安全と氏子の繁昌{はんじょう}を願い、萬代不朽{ばんだいふきゅう}に遺忘{いぼう}に供えん為、ここに縁起碑を建つ。」
というものだった。実際は石碑だったのか、裏面に建立者などが記してあったようだが由緒に直接的に関係がないためこのブログでは割愛させていただきたいと思う。
正直、古文なんてわからないと言う人が多いと思うのだが、佐野の人が隠居してきたよ〜、1658年に開拓して神社を作ったよ〜、神社が途中で壊れたから直したよ〜、その時に村の安全と繁盛を願ってこの碑を作ったよ〜といった感じだろうか。
さて、お社に参拝するのだが、賽銭泥棒対策で「防犯カメラ作動中」が貼られており、決してやましいことはしていないのだが私の参拝作法が間違っていないかというほうが心配になる。
参拝後、駅に向けて歩き出す。
行きと同じ道だが今度は線路の東側エリアに足を踏み入れてみる。
こちらは現在、再開発中、と言った感じで建物がないエリアと最近できたであろう綺麗な建物が混在している格好だった。
ひとまずJAの所を曲がり、件の郵便局の新しい建物を見てみようと思う。
茶色の看板は落ち着いており、再開発の町にはぴったりな雰囲気である。個人的に面白く感じたのは、ポストにダンボールが掛かっている点。新品購入なのは大体予想がついていたがまさかダンボールで納入されているとは思わなかった。
さて、元の道を戻り線路の西側エリア、高速の北側エリアにも足を踏み入れてみる。
目的地は、キャンドウ。いつもスタンプを押すときにハガキサイズのカードを買って使っているのだが、自宅に忘れてきたので買いたいと思ったのだ。
キャンドウは一昔前のデザインの店舗で狙っていたカードこそなかったものの満足する買い物ができたように感じる。
そして、店舗前の郵便ポスト。情報をメモしていたときにポストの上にカード様の何かが載っていることに気がついた。見てみると獨協大学の学生証であった。
個人情報がガッツリ載っているので写真は撮っていないが、ひとまず書いてある学生課の電話番号に電話。
すると、「交番に届けていただくか、獨協大学の付近にお住まいならば大学の守衛にお預けください」とのことだった。
決して、住まいは大学から近いわけではないのだが変える方向に1駅行く程度なら全く問題ない。
ちょっと寄っていこうと思う。
隣駅はそのまま獨協大学前という駅なのでここで降りれば問題なかろう。
あとで調べた新田駅から余裕で歩けそうな距離だったが土地勘がないので東武鉄道にお金を落として正解だったと思う。
大学は私立大学にありがちな関係者以外立入禁止だったので学生課に直接ではなく守衛にお預けした。
この守衛が話の伝わらないおじさんで「あなたの学生証は?」「いや、落とし物の学生証を届けにきた高校生ですって。」というやり取りを数度繰り返し、ようやく話が伝わった。
感謝されたが、こうも時間をとられては疲れてしまう。
駅に着いてようやっと東京方面に戻ることにする、が。
電車の入線前にプラットホームにはいたのにも関わらず、電車の方向を勘違いし、電車を逃してしまった。中目黒行きは10分後。疲れは自分をさらに追い込むのである。
電車に乗り、また草加で乗り換え、これまた北千住で乗り換える、が今回は日比谷線ではなく、千代田線に乗り換える。多少時間が遅れたが「岐阜県ゆかりの地スタンプラリー」を少し進めたいと思ったのである。
今回の本題の「草加散歩」とは趣旨が異なるので今回はここで終わり、いつかスタンプラリーを攻略した記事を書こうと思う。
2話も読んでいただきありがとうございました!
次回以降もよろしくお願いします!!!